商社勤務のBORDERLESS FOOTBALLER. 根無し草のCosmopolitanではダメだ。祖国に確固たるIdentityを持つNationalist兼Internationalistでありたい。
by paramexico20
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Clássico de Curitiba

今日は同じクリチバを本拠地とし、現地で人気を二分するコリチーバとアトレチコパラナエンセの試合、すなわちクラシコ(現地ではクラシコの事を『アトレチーバ』と呼ぶ)の日。コリチーバは州リーグで現在1位、対するアトレチコパラナエンセは2位という事で、両者のライバル意識はさることながら、今後のリーグ優勝をかける試合としてもとても重要な一戦である。こんな試合を見逃すわけにはいかないので、早速スタジアムに観戦に行ってきました。

コリチーバは過去にKing Kazuが所属していたチームであり、20年以上も昔の事なのに、こちらのサッカー好きは皆Kazuの名前を知っているし、自分が日本人と知ると「Kazu~Kazu~」と親しみを込めて呼んでくる人さえいる。まさか地球の裏側で、数十年前の選手を共通項として人間関係を築けるとは思っておらず、改めてKazuの残した偉大な歴史に感謝すると共に、彼のカリスマ性を尊敬するばかりである。

今日はコリチーバのホームゲームなのだが、僕のホームステイ先のファミリーはアトレチコファンなので、試合を観に行ったのは内緒にした。なぜなら『アトレチーバ』の試合はあまりにも過激なので、アウェイチームのファン(すなわち今回はアトレチコファン)は入場不可となっており、僕が試合を観に行ったとなると「コリチーバファン」という事がバレてしまうからである。バレたところでどうなる問題じゃないと思うかもしれないが、これはブラジルでは結構深刻であり、ここで写真を載せるとどこかで家族に観られて問題になる恐れがあるので自粛する(マジ)。

観客の暴徒化を防止する為、スタジアム内での酒が禁止なのは予め知っていたけれど(2014年W杯では許可される事になりました)、喫煙がOKなのは知らなかった。皆スパスパと吸っていて、それだけならまだしも、いつぞやのアムステルダムで嗅いだ事のある懐かしい匂いが…Yes, it's マリファナ!という事で、マリファナ吸いながら試合を観戦しているわけです。言わずもがな、そういう人は”another world”にトリップしている。酒は取り締まるけど、ヤクは取り締まらないゆるさ(というか矛盾)がいかにもブラジルらしい。

相手に対する野次。これも異常。ただでさえ異常なのに、今日の相手はアトレチコという事で、コリチーバファンはさらに殺気立っている。試合前の練習から相手を野次りまくりで、控えGKがピッチに出てきただけで、ほぼ全員が中指を突き立てて、「ク○野郎!」の大合唱。ポルトガル語を勉強するにあたって、palavrão(悪口、いわゆる英語でいうところの"F word")はとても重要ですが、サッカーを観に行けば、歓声のほとんどはそれなので、とても勉強になります。他にもここでは書けないような沢山のpalavrãoをガキんちょからおじいちゃんまで、どえらい殺気で相手に向かって言い放っていた。自分がアトレチコの選手だったら3秒で帰りたくなるだろう。本当の意味でのアウェイとはこういう事なのかと痛感。

南部のチーム同士という事だけあって、黒人選手も比較的少なく、テクニック系を中心とした北部のチームとは対照的な、フィジカルを中心とした縦に早いスピーディーなサッカーを両チームは展開していた。どちらかというとイングランドのプレミアっぽい印象。そして観客も単に騒いでいるだけでなくて、やはり試合を良く観ている。例えば、Jリーグでは許されるような微妙なトラップミスも、ブラジルでは自分のチームがすれば大ブーイング、逆に相手チームがすれば挑発の野次が飛びまくる。DFのパスカットやヘディングでの競り合い等、割と地味な球際のプレーに対しても良いプレーがあれば拍手を送る。これだから選手もうかうかとミスはしていられないし、闘志をむき出しにして闘う。

さて、試合に関して。幸先よく試合開始早々にコリチーバがファーストシュートで先制。湧きまくるスタジアムの中で、前半の半ばにアトレチコがラフプレーで一人退場した事で、コリチーバファンはさらに大喜び。しかしアトレチコも粘って、直接FKから一点を返して、1-1で前半を折り返す。後半に入ってからもコリチーバが数的優位を活かして、正確なパス回しから加点。2-1。これで試合が決まったかと思ったが、驚異的な粘りを見せるアトレチコが快速FWのカウンターで、相手DFの一瞬の隙をついて同点とする。2-2。10人相手に勝ち切れない味方チームに対してイライラというかブチ切れ寸前に近い応援(罵声)にコリチーバ選手も火がついたのか、終了間際にミドルシュートを叩き込んで、やっとアトレチコを突き放す。3-2。一人少ない中で粘りを見せていたアトレチコもこれで意気消沈し、ロスタイムにさらに一点を追加されて、最終的に4-2でコリチーバに軍配が上がった。ホームチームが快勝したおかげで誰も暴徒化せず、安全に帰路につけた。

スタジアムでの耳をつんざくようなブーイングと、惜しいシュートが外れた時の「ふぅ!(日本語では言い表わせない)」という低音のうなり声を聞くと「あぁ、ブラジルに来たんだな」という実感が湧きあがった。自由席のチケットの僕は椅子もない固いコンクリの上に座りながら、ブラジルのダメな施設感を凌駕する観客の熱狂感に魅了されてやまなかった。単なる娯楽の域を超えた、文化としてのサッカーに触れる事で、ブラジル人の気質というのがまたちょっとだけ理解できたような気がする。でも事あるごとに喜怒哀楽をモロ出しにするブラジル人を眺めていると、まだまだ底が知れないなとも思う。逆説的ではあるけれど、この国は永遠に理解できないというのが実は魅力なのかもしれない。滞在一カ月。まだまだ探索する事ばかりである。

さて、明日早朝からまた学校生活の再開。課外学習はほどほどにして、ガリ勉に勤しもう。最後はKazuのブラジル時代の秀逸な映像でお別れです。Boa noite!


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# by paramexico20 | 2012-04-23 11:54

突破力

2011年の備忘録を纏めよう。

・会社のサッカーチームでキャプテンなんちゅー名前だけが浮ついた役割を引き受け、組織を纏める難しさを痛感しながらも、プレーヤーとしてサッカーをする喜びと楽しさを改めて実感した次第。どれだけ歳を取っても、体力が落ちてきても、忘れちゃならんものなんですな。ツヨイキモチ!という松木安太郎的な精神は、あながち悪くないものです。おっさんになっても言い放ちたいよね。『やめないよ』by King KAZU。好きなものはこれからも大切にする。当たり前の事を当たり前に。

・昨年は第二の故郷カリフォルニアに帰り、15年振りに旧友たちに再会した事で、無限のノスタルジーに酔いしれた。過去からの時間の経過と積み重ねをあれほどモロに食らい感じたのは人生初かもしれない。はるか昔に残した点を線で結ぶ作業は心地良い高揚感を与えてくれて、己が辿って来た道を辿る事で自分の人生の棚卸しができた。一日一日を必死こきながら生きていると『あ、俺こうやって生きてきたんだな~』という瑞々しい記憶が、時に新鮮な気づきを与えてくれる。

・出張中に3.11を迎え、連絡ルートも、情報も断たれた状態で、ムンバイのホテルで飛ばない飛行機を待ちながら、ただただ不安な気分に晒された。自分だけ地震を体験していないという事実が変な罪悪感を生んで、やるせなさと無力感と哀しさが入り混じり、それが自分の死生観を揺さぶりまくった。人間は自然の脅威を前にしたら小さな存在にしか過ぎない。他方で、人間はその自然に生かされている部分が大いにあって、相互の関係って一体何なんなのか、この先自分は何のために生きていけばいいのかと、ほとんどの人が感じたように、自分も生きる事の意義を考え直したのであります。

こうしてみると、2011年は色々ありました。今年は全く新しい環境に足を踏み入れる。間違いなくチャレンジングなステージであり、自分次第で未来はどうにでもなる。だからこそ、2012年のテーマは『突破力』としたい。てめえの力で切り開けと、自分で自分のケツを叩かないとダメな気がするから。褒められると伸びる子だから(甘え)。

という事で、皆様明けましておめでとうございます。
全ての人にとって、素晴らしい年になりますように。
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# by paramexico20 | 2012-01-01 21:17

『家族ゲーム』(1983)

自分は80年代に生まれた人間のはずなのに、実は80年代の事はあまり知らない。幼い頃の記憶は薄いし、当時について聞かれてもぶっちゃけ印象に残っていない。だからこの映画を観て、1983年(僕が生まれる一年前である)にこの映画が流れていた事実に衝撃を受けた。
この映画が当時どのような評価を受けていたのか定かではないが、久々に”とんでもない映画”に巡り合ってしまった感が否めない。すなわち僕が大好きな、秀逸なB級映画だ。正直笑いを堪えられないシーンが多過ぎて困った。同時に、たかが(失礼!)80年代の映画に笑かされてる自分にも戸惑いを感じた。僕が26年間培ってきた精一杯のセンス・オブ・ユーモアが80年代の映画にくすぐられまくる実態に目を向けられなかったのである。それでもこの映画の端々から滲み出る古臭さや、全くもって中身の無いストーリー性、無気力感とも脱力感ともいえぬ境地に、魅力を感じざるを得なかった。
一言で言うと、極めてシュールだ。ユーモアの新分野として”シュール”という言葉が誕生して、シュールなユーモアが日本で流行り始めたのが90年代後半だというのを考慮すると(漫画で言えば『すごいよ!!マサルさん』だったり、芸人で言えば『アンガールズ』あたりが該当するか)、この映画はその笑いのトレンドを相当先取りしている。シュール・ユーモアをはるか以前の1983年に既に実現していたという点では、この映画はまさに「時代の先行者」である。
ただ、逆説的でもあるが、”実現していた”という表現は間違いとも言える。なぜなら、確信してもいいが、この映画は1983年では全くウケなかったと思われるからだ。東京ディズニーランドが開園したような国民全体が浮かれていたような年に、こんな”松田優作の絶妙の間”を楽しむような作品を受け入れる余裕があったとは思えない。この映画が80年代の大衆の笑いのつぼを捉えていたとは想像もできない。これが公演された時、皆観客は粛々と映画を観ていたに違いない。だからこそ、僕はこの映画を当時1983年の映画館で観たかったと切に思ったのである。なぜなら、”この映画を粛々と観ている大衆”という光景こそが最もシュールな瞬間だと思うからだ。
以上、『映画評論』を真似た、稚拙な映画評でした。

PS.松田優作の映画って初めてきちんと観たけど、すごい役者なんだね。


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# by paramexico20 | 2011-11-20 20:57

生きてるぜ感

長期休暇からの帰還。一週間の休暇を丸々カリフォルニアで過ごした。南国でゆるりvacationという選択肢もあったものの、あえてカリフォルニアを選んだのは、昔自分が育った街を今一度この目で確かめておきたかった事と、旧友に会いたかったからだ。

Los Altos, 幼い頃過ごした街並みは昔焼き付いていた光景と同じで、どこまでも続くのどかな風景と、のんびりとした時間、相変わらず人懐っこくて温かい人々に、日々忙しい東京では抱く事の無い郷愁を覚えた。僕の大好きな街は変わっていなかった。

サンフランシスコでは15年ぶりに旧友と再会した。15年という時の重さは、とてつもない高揚感を与えてくれた。皆、話し方も表情もユーモアも変わらず、図体のsizeだけが僕の1.5倍のスピードで進行していた。弁護士からエンジニア、建築系に、投資銀行で大金を稼いで既にquitしたやつ…皆それぞれ自分の人生を生きている。公園の芝生に座って話しこみ、この15年間を棚卸ししたのはこの上ない贅沢な時間だった。海外にて、ずっと昔の旧友と会うというシチュエーションに、時空を飛び越えた感動が湧き上がって、自分が過去に残してきた数多くの点を15年ぶりに確認する作業に、無性に「俺、生きてるぜ感」を感じてしまった。とてもかっこ悪い言い方をすれば、青春を感じた。社会人になってここまで瑞々しい青春を感じたのは初めてかもしれない。

人として生まれてきたのならば、この「生きてるぜ感」を極大化したい。嬉しさと懐かしさに溺れながら、サンフランシスコでそう思った。夜に皆で飲んだ酒は無限のノスタルジーを帯びた格別の味がしたせいで、人生初の、旅先で潰れるというメモリアルファインプレーを披露してしまいました。ふむ、いかにも忘れられない夜だったとさ。

というわけで、明日から社会復帰。仕事も一緒だ。どれだけ「生きてるぜ感」を創出できるか。Yosemiteで注入したマイナスイオンを源に精進するのである。のであ~る。っしゃ!
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# by paramexico20 | 2011-09-26 00:07

『光のほうへ』

西川美和の『ゆれる』もそうだけど、どうしてか兄弟を描いた映画には心を打たれる。

それは自分がこの26年間、一人っ子として生きてきて、
心のどこかに兄弟に対する憧れがあるからなのかもしれない。

自分が兄貴だったら、弟だったら、姉や妹がいたら…
また違うアイデンティティの基に、違う人生を歩んでいたんだろうな、と思うわけです。
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デンマークの映画は初めて観た。コペンハーゲンは空港に2度立ち寄っただけだけど、
北欧の人は皆冷たい目の中にも暖かい心を持つ、そんな印象を持った思い出がある。

グラベセンもベントナーもイブラヒモビッチも、皆見た目は単なる不良だけど、
中身はきっといいやつなんだ。と、この映画を見てふと思った。北欧に行きたい。
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# by paramexico20 | 2011-07-11 01:12

天才と変態

「バカと天才は紙一重である」とは良く聞くけれど、

同時に、

「天才と変態」も二面性、ある意味コインの表裏を形成している関係のような気がする。

誰しもが思いつかない、誰もがマネする事の出来ない、突き抜けた知識・経験・思想・能力を有しているという点で天才と変態は共通項がある。それぞれ単一の意味合いは異なるけれど、一緒に並べると同義語のように思えるから不思議だ。

これはサッカーに置き換える事もできる。
例えば、同じスーパープレーヤーでもロベルト・バッジョは「天才」で、アルバーロ・レコバは「変態」だ。
前者は身のこなしから、一つ一つのプレーまで本当に無駄なく完璧で、観るだけで美しい、「こいつはもう天才だ!」と手放しで称賛してしまうのに対して、
後者は「えっ!?」と観るものの度肝を抜かせるばかりが、むしろ若干引かせてしまう、思わず「…変態じゃね?」とつぶやいてしまうようなプレーを魅せてくれる。

そんな感じ。このニュアンスわかってくれる人いるかな…

僕は個人的に変態的なプレーヤーが好きだ。(レコバの場合は顔がブサイクで、それが強烈な印象を残してしまっているという点はあるが、そこは今回の論点とは外れるので省いておこう)

アートでもそうだ。
例えば、サルバドール・ダリの作品を見ていると「こいつは完全に変態だったんだな」と思える。明らかに普通の状態と違う、異常であり、時に病的な程の作品は見ていてわくわくする。こいつ突き抜けてんな~と思える。レコバのプレーと同様。

最近感性を刺激しまくられたやつではコレ。
イタリアのグラフィティアーティストBLU。
初めて観た時は衝撃的だった。もはや変態でしか成せない業です。

BIG BANG BIG BOOM - the new wall-painted animation by BLU


仲の良い友達も、天才系より変態系の方が周りに多いような気がする。
天才や変態が自分の周りに多くいるという意味では無いが、魅力的だなと思えるのは変態系だ。突き抜けた何かを持っている人間は魅力的だし、そういう人と会うと素直に尊敬する。(ただレコバのようにブサイク顔の友達がいないのが、残念なところではある)
そういう変態に出会うと、自分自身もっと人間としての幅を広げたいなと思う、そう思わせてくれる。自分にとって、貴重な存在です。

最後にレコバ。もうね、このブサイクな顔がたまらないよね。(結局顔か?)


ふむ、すなわち変態とは貴重な存在なのである。
こんなやぶれかぶれな結論で今日は終わり。ドロン。
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# by paramexico20 | 2011-06-15 00:58

人生のターニングポイント

サッカーが楽しい。

よくもまあ社会人5年目にもなって、あの広いピッチをバカみたいに炎天下の中駆け回って、ボールを追いかける事ができるなと、我ながら思ってしまう事もあるけれど、サッカーを通じて得るカタルシスは何物にも代えがたいし、ここ最近になってその感情は更に増したような気がする。

結局勝負事です。

仕事だって、遊びだって、恋愛だって、人生勝負事ばかりだ。自分にとってサッカーはその一つであって、一生懸命になれる、大げさに言えば魂をかける事が出来る大切なものだ。社会人になって、仕事以外にも本気になれる何かを持っているっていうのは本当に貴重だと思う。

リーグ戦で優勝して皆で飲む祝杯は世界中のどの酒よりも美味いし、公式戦でPKを外すとその夜は引き裂かれんばかりの後悔で一日中寝れなかったりする。26歳にもなって、仕事以外で悔しがったり、歓喜に湧けるのは、嬉しい。

会社のサッカー部にて、若手からオッサンまで必死こいて戦っているチームの主将を務めてもう半年以上経つ。チームを束ねる難しさは、世界中に散らばったNational Staffを束ねてプロジェクトに臨む感覚と通じるものがある。サッカーも仕事も人生も、共通するもんは沢山あるんだぜ~という気付きは、僕の行動規範や人格さえ形成しているんじゃないかと最近思うのです。

つくづく幸せだ。

すごく浅はかな言葉ではあるけれど、サッカーに巡り合えて幸せだと最近本気で思う。

1993年5月15日に国立競技場にてヴェルディ川崎 vs 横浜マリノスのJリーグ開幕戦を見て、そこから自分のサッカー人生が始まった。そう考えると、あの日父親が新聞の片隅に載っていた抽選に応募していなかったら、そのとてつもない倍率であろう抽選が当たっていなかったら、そしてあのマイヤーの超絶ミドルシュートを目の当たりにしていなかったら、今の自分の人生は全く別のものになっていたのかもしれない。

自分にとってそれは一つの「人生のターニングポイント」であるけれど、そもそも人生のターニングポイントなんていうのは、時が経ってからこそ認識できるもので、1993年5月15日が実は自分にとってものすごく重要な日だったんだなぁ…というのは実は結構最近認識した事でもある。

という事は、日々自分が徒然なるままに生きているこの一日一日も「人生のターニングポイント」になり得る可能性を十分に秘めていて、例えば出張で世界中の様々な人に会ったり、自分の感性を刺激しまくる映画や音楽に出会ったり、背筋に戦慄が走る程の言葉に触れたりしたら、それが一つの転機になるかもしれない。先日福岡で食った超絶美味のラーメンや、新宿二丁目で行った『タンクトップ』という名のオカマバーだって「人生のターニングポイント」になりえるかもしれない。

そして、そういうのは時が経って後々気付くものなのである。
そう考えると、人生というものは実に面白い。面白いもんだな~

Steve Jobsじゃないけど、「点」を残しまくって、「線」を引きまくって、結局人の一生なんてそうやって過ぎていくんだなと思う。そう考えると、毎日の一日一日も少し楽しく生きていけるんじゃないかね、そう思わんかね、なんて思えた土曜の夜。

そして、明日は公式戦なので早く寝る。むーん、こういう気分は高校生以来です。
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# by paramexico20 | 2011-06-11 22:00

Cesare Picco

先日国際会議が福岡であったのだが、
一部の海外客は日本の放射能が怖いという理由で来なかった。
依然として水や食べ物が汚染されていると思い込んでいるらしい。
福岡のlocationを考えれば、全く関係無いにも関わらず、
日本全体そのものがそういう目で見られているのは寂しい。

ただその気持ちもわからないではない。
自分が言葉も通じない、文化も精通していない国で
同様のシチュエーションに遭遇したら、同じように”とりあえず”逃げ出すだろうと思う。
リスク量が不明ならまずは自分が考える最大限のヘッジをするのは人間の基本動作だ。
3.11後、一斉に各国大使館の人間が真っ先に日本から国外逃亡したのも頷ける。

そんな中でも、あらゆる手段でこの国を支えようと活動してくれる人がいるのも事実。
先日Blue NoteでCesare Piccoのチャリティコンサートを聴いた。
遠いイタリアからこの国を想ってくれる人がいるというのは日本人として純粋に嬉しい。

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ピアノの音が人をセンチメンタルな気持ちにさせるのはなぜだろう。
久しぶりに楽器が弾きたくなった。
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# by paramexico20 | 2011-06-05 19:08

遠田家

親父がブラジルに行った。しかも一人で。
リオのカーニバルを観に行くためだという。

自由過ぎる。

俺と誕生日が同じ父親は今年で60歳になるが、
このvitalityがあればまだ全然長生きしそうだ。

母親は三冊目の本を出版するという事で同行せず。
どうやら二冊目が結構売れた事に味をしめたらしく、次もヒットを狙っている模様。
頑張っているので、ここで宣伝してあげよう。
3月16日発売らしいので、興味あれば本屋で手に取ってみてください。
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『kagerou』が売れた時は地団太を踏んで悔しがっていたが、
そもそも競争する相手が違うよね。

母ちゃん、トモヒロには勝てねーよ…

そんな二人であるが、感心するのは新しいもの好きという点。
父親はiPhoneでfacebookにイグアス滝の動画を掲載して、
無料通話アプリたるviberでわざわざブラジルから電話してきた。
母親もiPadを駆使してtwitter & facebookで自分の本を宣伝している。

どれも俺が教えてあげたものだけど、
きちんと自分で使ってるのは偉い(使いこなしているとは言い難いが…)。
自分もおっさんになっても、何に対しても好奇心を持てる心を持ち続けたいと思う。

父親は地球の裏側でカーニバル。
母親は日本で三冊目の本を出版。
息子はインドで列車移動の出張。

それぞれが好き勝手自由に生きている。
それが遠田家円満の秘訣です。
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# by paramexico20 | 2011-03-02 22:53

予想だにしない人生を歩む

またインドに行く事にした。一週間程。

今度はDelhi & Mumbaiに限らず、NagpurやSurat等、色々な場所に行く。
一日一回飛行機に乗って、インド中を巡る予定。
インドというパワー溢れる新規市場の開拓もさることながら、
韓国店のKim-sanと現地インド店のAmit-sanと三人での珍道中が楽しみでならない。
僕は初めての海外出張から今まで、一人での出張しか経験した事ないが、
こうして国を代表して、一人ずつ一つの拠点に集まって、
共通のミッション達成の為に共に行動する事が、ちょっとドラクエちっくで好きだ。
ミッションを達成する毎にレベルアップを実感できるのも好きだ。
異国の地で夜に飲み過ぎて、HPが黄色になる感覚も好きだ。

そして、今回は初の鉄道移動も組み込んだ。インドの鉄道。大丈夫なのか…
インドの鉄道っていうと、イメージではこういうの

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とか、

こういうの

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しか、思い浮かばないけど、はたして本当に大丈夫なんかな。
てか上の写真の車両につかまってるやつすごいな。。。ずっとこれで移動するのかな?

学生のバックパッカーならまだしも、
こんな列車にスーツ姿でスーツケースと共に乗り込む自分が想像できないし、
ずっと窓に足をかけて車両につかまる握力にも自信が無いから、
現地スタッフのAmitに安全性も含めて問いたところ、
「ゼンゼンダイジョブヨ、たまにbandits(盗賊)がでるくらいだから」とのこと。
そかそか、なら安心♪ ………っておーい!!
僕にはサーベルを身にまとった盗賊団に襲われるシーンしか浮かびません。
取り急ぎ、真剣白刃取りの練習は怠らないようにしようと思う。

最近は自分が行きたい国に自分で仕事を仕込むという事が出来るようになってきた。
おかげでインドだけでなく、近々台湾にも行ける予定。
結果を出せば、さらなるチャレンジの場を与えてくれる。
そういう環境は本当にありがたい。仕事で魅力的だと感じる国をこれからも追及しよう。

にしても、パキスタンでの経験しかり、
自分はこの会社でも希有な体験をさせてもらっていると思う。
生まれて初めてMYボディーガードと共に行動した事や、
ホテルマンにショットガンをつきつけられた経験など、
別に命をかけて仕事をしているつもりなんてさらさらないが、
振り返ってみると結構過激な地域やシチュエーションを潜り抜けて来た。
それらはすべて貴重な経験だ。
別に仕事とかの枠組みに関係なく、僕の人生において貴重な経験だ。

生まれてからこの仕事に就くまで(会社に入ると決まった後の内定者の時でさえ)
パキスタンやオマーンへ、自分の人生において
斯様な地に訪れる機会は300%ないと思っていたから、
そう考えると人の一生というものは面白いもので、
過去に全く予想だにしなかった人生を今歩んでいるという事実は、
すなわち今後自分が歩んでいく人生も、
今の自分が到底想像しえないものになるであろうという事を暗示している。

だからこの先自分の人生において、
何に直面するのかなんて全然わからないものだけど、
今後短い人生、どんな変化があっても、変化がなくても、
常に多様性に対して寛大な人間でありたい。そういう人生を僕は望む。

多様性に対して寛大に。さて、今週も頑張ろう。
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# by paramexico20 | 2011-02-27 22:26