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商社勤務のBORDERLESS FOOTBALLER. 根無し草のCosmopolitanではダメだ。祖国に確固たるIdentityを持つNationalist兼Internationalistでありたい。
by paramexico20
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Clássico de Curitiba

今日は同じクリチバを本拠地とし、現地で人気を二分するコリチーバとアトレチコパラナエンセの試合、すなわちクラシコ(現地ではクラシコの事を『アトレチーバ』と呼ぶ)の日。コリチーバは州リーグで現在1位、対するアトレチコパラナエンセは2位という事で、両者のライバル意識はさることながら、今後のリーグ優勝をかける試合としてもとても重要な一戦である。こんな試合を見逃すわけにはいかないので、早速スタジアムに観戦に行ってきました。

コリチーバは過去にKing Kazuが所属していたチームであり、20年以上も昔の事なのに、こちらのサッカー好きは皆Kazuの名前を知っているし、自分が日本人と知ると「Kazu~Kazu~」と親しみを込めて呼んでくる人さえいる。まさか地球の裏側で、数十年前の選手を共通項として人間関係を築けるとは思っておらず、改めてKazuの残した偉大な歴史に感謝すると共に、彼のカリスマ性を尊敬するばかりである。

今日はコリチーバのホームゲームなのだが、僕のホームステイ先のファミリーはアトレチコファンなので、試合を観に行ったのは内緒にした。なぜなら『アトレチーバ』の試合はあまりにも過激なので、アウェイチームのファン(すなわち今回はアトレチコファン)は入場不可となっており、僕が試合を観に行ったとなると「コリチーバファン」という事がバレてしまうからである。バレたところでどうなる問題じゃないと思うかもしれないが、これはブラジルでは結構深刻であり、ここで写真を載せるとどこかで家族に観られて問題になる恐れがあるので自粛する(マジ)。

観客の暴徒化を防止する為、スタジアム内での酒が禁止なのは予め知っていたけれど(2014年W杯では許可される事になりました)、喫煙がOKなのは知らなかった。皆スパスパと吸っていて、それだけならまだしも、いつぞやのアムステルダムで嗅いだ事のある懐かしい匂いが…Yes, it's マリファナ!という事で、マリファナ吸いながら試合を観戦しているわけです。言わずもがな、そういう人は”another world”にトリップしている。酒は取り締まるけど、ヤクは取り締まらないゆるさ(というか矛盾)がいかにもブラジルらしい。

相手に対する野次。これも異常。ただでさえ異常なのに、今日の相手はアトレチコという事で、コリチーバファンはさらに殺気立っている。試合前の練習から相手を野次りまくりで、控えGKがピッチに出てきただけで、ほぼ全員が中指を突き立てて、「ク○野郎!」の大合唱。ポルトガル語を勉強するにあたって、palavrão(悪口、いわゆる英語でいうところの"F word")はとても重要ですが、サッカーを観に行けば、歓声のほとんどはそれなので、とても勉強になります。他にもここでは書けないような沢山のpalavrãoをガキんちょからおじいちゃんまで、どえらい殺気で相手に向かって言い放っていた。自分がアトレチコの選手だったら3秒で帰りたくなるだろう。本当の意味でのアウェイとはこういう事なのかと痛感。

南部のチーム同士という事だけあって、黒人選手も比較的少なく、テクニック系を中心とした北部のチームとは対照的な、フィジカルを中心とした縦に早いスピーディーなサッカーを両チームは展開していた。どちらかというとイングランドのプレミアっぽい印象。そして観客も単に騒いでいるだけでなくて、やはり試合を良く観ている。例えば、Jリーグでは許されるような微妙なトラップミスも、ブラジルでは自分のチームがすれば大ブーイング、逆に相手チームがすれば挑発の野次が飛びまくる。DFのパスカットやヘディングでの競り合い等、割と地味な球際のプレーに対しても良いプレーがあれば拍手を送る。これだから選手もうかうかとミスはしていられないし、闘志をむき出しにして闘う。

さて、試合に関して。幸先よく試合開始早々にコリチーバがファーストシュートで先制。湧きまくるスタジアムの中で、前半の半ばにアトレチコがラフプレーで一人退場した事で、コリチーバファンはさらに大喜び。しかしアトレチコも粘って、直接FKから一点を返して、1-1で前半を折り返す。後半に入ってからもコリチーバが数的優位を活かして、正確なパス回しから加点。2-1。これで試合が決まったかと思ったが、驚異的な粘りを見せるアトレチコが快速FWのカウンターで、相手DFの一瞬の隙をついて同点とする。2-2。10人相手に勝ち切れない味方チームに対してイライラというかブチ切れ寸前に近い応援(罵声)にコリチーバ選手も火がついたのか、終了間際にミドルシュートを叩き込んで、やっとアトレチコを突き放す。3-2。一人少ない中で粘りを見せていたアトレチコもこれで意気消沈し、ロスタイムにさらに一点を追加されて、最終的に4-2でコリチーバに軍配が上がった。ホームチームが快勝したおかげで誰も暴徒化せず、安全に帰路につけた。

スタジアムでの耳をつんざくようなブーイングと、惜しいシュートが外れた時の「ふぅ!(日本語では言い表わせない)」という低音のうなり声を聞くと「あぁ、ブラジルに来たんだな」という実感が湧きあがった。自由席のチケットの僕は椅子もない固いコンクリの上に座りながら、ブラジルのダメな施設感を凌駕する観客の熱狂感に魅了されてやまなかった。単なる娯楽の域を超えた、文化としてのサッカーに触れる事で、ブラジル人の気質というのがまたちょっとだけ理解できたような気がする。でも事あるごとに喜怒哀楽をモロ出しにするブラジル人を眺めていると、まだまだ底が知れないなとも思う。逆説的ではあるけれど、この国は永遠に理解できないというのが実は魅力なのかもしれない。滞在一カ月。まだまだ探索する事ばかりである。

さて、明日早朝からまた学校生活の再開。課外学習はほどほどにして、ガリ勉に勤しもう。最後はKazuのブラジル時代の秀逸な映像でお別れです。Boa noite!


# by paramexico20 | 2012-04-23 11:54

突破力

2011年の備忘録を纏めよう。

・会社のサッカーチームでキャプテンなんちゅー名前だけが浮ついた役割を引き受け、組織を纏める難しさを痛感しながらも、プレーヤーとしてサッカーをする喜びと楽しさを改めて実感した次第。どれだけ歳を取っても、体力が落ちてきても、忘れちゃならんものなんですな。ツヨイキモチ!という松木安太郎的な精神は、あながち悪くないものです。おっさんになっても言い放ちたいよね。『やめないよ』by King KAZU。好きなものはこれからも大切にする。当たり前の事を当たり前に。

・昨年は第二の故郷カリフォルニアに帰り、15年振りに旧友たちに再会した事で、無限のノスタルジーに酔いしれた。過去からの時間の経過と積み重ねをあれほどモロに食らい感じたのは人生初かもしれない。はるか昔に残した点を線で結ぶ作業は心地良い高揚感を与えてくれて、己が辿って来た道を辿る事で自分の人生の棚卸しができた。一日一日を必死こきながら生きていると『あ、俺こうやって生きてきたんだな~』という瑞々しい記憶が、時に新鮮な気づきを与えてくれる。

・出張中に3.11を迎え、連絡ルートも、情報も断たれた状態で、ムンバイのホテルで飛ばない飛行機を待ちながら、ただただ不安な気分に晒された。自分だけ地震を体験していないという事実が変な罪悪感を生んで、やるせなさと無力感と哀しさが入り混じり、それが自分の死生観を揺さぶりまくった。人間は自然の脅威を前にしたら小さな存在にしか過ぎない。他方で、人間はその自然に生かされている部分が大いにあって、相互の関係って一体何なんなのか、この先自分は何のために生きていけばいいのかと、ほとんどの人が感じたように、自分も生きる事の意義を考え直したのであります。

こうしてみると、2011年は色々ありました。今年は全く新しい環境に足を踏み入れる。間違いなくチャレンジングなステージであり、自分次第で未来はどうにでもなる。だからこそ、2012年のテーマは『突破力』としたい。てめえの力で切り開けと、自分で自分のケツを叩かないとダメな気がするから。褒められると伸びる子だから(甘え)。

という事で、皆様明けましておめでとうございます。
全ての人にとって、素晴らしい年になりますように。
# by paramexico20 | 2012-01-01 21:17

『家族ゲーム』(1983)

自分は80年代に生まれた人間のはずなのに、実は80年代の事はあまり知らない。幼い頃の記憶は薄いし、当時について聞かれてもぶっちゃけ印象に残っていない。だからこの映画を観て、1983年(僕が生まれる一年前である)にこの映画が流れていた事実に衝撃を受けた。
この映画が当時どのような評価を受けていたのか定かではないが、久々に”とんでもない映画”に巡り合ってしまった感が否めない。すなわち僕が大好きな、秀逸なB級映画だ。正直笑いを堪えられないシーンが多過ぎて困った。同時に、たかが(失礼!)80年代の映画に笑かされてる自分にも戸惑いを感じた。僕が26年間培ってきた精一杯のセンス・オブ・ユーモアが80年代の映画にくすぐられまくる実態に目を向けられなかったのである。それでもこの映画の端々から滲み出る古臭さや、全くもって中身の無いストーリー性、無気力感とも脱力感ともいえぬ境地に、魅力を感じざるを得なかった。
一言で言うと、極めてシュールだ。ユーモアの新分野として”シュール”という言葉が誕生して、シュールなユーモアが日本で流行り始めたのが90年代後半だというのを考慮すると(漫画で言えば『すごいよ!!マサルさん』だったり、芸人で言えば『アンガールズ』あたりが該当するか)、この映画はその笑いのトレンドを相当先取りしている。シュール・ユーモアをはるか以前の1983年に既に実現していたという点では、この映画はまさに「時代の先行者」である。
ただ、逆説的でもあるが、”実現していた”という表現は間違いとも言える。なぜなら、確信してもいいが、この映画は1983年では全くウケなかったと思われるからだ。東京ディズニーランドが開園したような国民全体が浮かれていたような年に、こんな”松田優作の絶妙の間”を楽しむような作品を受け入れる余裕があったとは思えない。この映画が80年代の大衆の笑いのつぼを捉えていたとは想像もできない。これが公演された時、皆観客は粛々と映画を観ていたに違いない。だからこそ、僕はこの映画を当時1983年の映画館で観たかったと切に思ったのである。なぜなら、”この映画を粛々と観ている大衆”という光景こそが最もシュールな瞬間だと思うからだ。
以上、『映画評論』を真似た、稚拙な映画評でした。

PS.松田優作の映画って初めてきちんと観たけど、すごい役者なんだね。


# by paramexico20 | 2011-11-20 20:57

生きてるぜ感

長期休暇からの帰還。一週間の休暇を丸々カリフォルニアで過ごした。南国でゆるりvacationという選択肢もあったものの、あえてカリフォルニアを選んだのは、昔自分が育った街を今一度この目で確かめておきたかった事と、旧友に会いたかったからだ。

Los Altos, 幼い頃過ごした街並みは昔焼き付いていた光景と同じで、どこまでも続くのどかな風景と、のんびりとした時間、相変わらず人懐っこくて温かい人々に、日々忙しい東京では抱く事の無い郷愁を覚えた。僕の大好きな街は変わっていなかった。

サンフランシスコでは15年ぶりに旧友と再会した。15年という時の重さは、とてつもない高揚感を与えてくれた。皆、話し方も表情もユーモアも変わらず、図体のsizeだけが僕の1.5倍のスピードで進行していた。弁護士からエンジニア、建築系に、投資銀行で大金を稼いで既にquitしたやつ…皆それぞれ自分の人生を生きている。公園の芝生に座って話しこみ、この15年間を棚卸ししたのはこの上ない贅沢な時間だった。海外にて、ずっと昔の旧友と会うというシチュエーションに、時空を飛び越えた感動が湧き上がって、自分が過去に残してきた数多くの点を15年ぶりに確認する作業に、無性に「俺、生きてるぜ感」を感じてしまった。とてもかっこ悪い言い方をすれば、青春を感じた。社会人になってここまで瑞々しい青春を感じたのは初めてかもしれない。

人として生まれてきたのならば、この「生きてるぜ感」を極大化したい。嬉しさと懐かしさに溺れながら、サンフランシスコでそう思った。夜に皆で飲んだ酒は無限のノスタルジーを帯びた格別の味がしたせいで、人生初の、旅先で潰れるというメモリアルファインプレーを披露してしまいました。ふむ、いかにも忘れられない夜だったとさ。

というわけで、明日から社会復帰。仕事も一緒だ。どれだけ「生きてるぜ感」を創出できるか。Yosemiteで注入したマイナスイオンを源に精進するのである。のであ~る。っしゃ!
生きてるぜ感_e0006047_0452988.jpg

# by paramexico20 | 2011-09-26 00:07

『光のほうへ』

西川美和の『ゆれる』もそうだけど、どうしてか兄弟を描いた映画には心を打たれる。

それは自分がこの26年間、一人っ子として生きてきて、
心のどこかに兄弟に対する憧れがあるからなのかもしれない。

自分が兄貴だったら、弟だったら、姉や妹がいたら…
また違うアイデンティティの基に、違う人生を歩んでいたんだろうな、と思うわけです。
『光のほうへ』_e0006047_1115576.jpg

デンマークの映画は初めて観た。コペンハーゲンは空港に2度立ち寄っただけだけど、
北欧の人は皆冷たい目の中にも暖かい心を持つ、そんな印象を持った思い出がある。

グラベセンもベントナーもイブラヒモビッチも、皆見た目は単なる不良だけど、
中身はきっといいやつなんだ。と、この映画を見てふと思った。北欧に行きたい。
# by paramexico20 | 2011-07-11 01:12